機関紙『松濤館』への記事掲載について(第207号)

松濤館が定期的に発行する機関紙において現役部員の記事が掲載されておりますので、この場をお借りして紹介させていただきます。

機関紙『松濤館』についてはOB会専用ページに転載しておりますのでそちらをご覧ください。

大阪支部訪問を経て

中央大学経済学部3年 梅村和希

2024 年の 3 月の末、寒さが和らぎ春の暖かさを感じさせる。この度広島・大阪支部の稽古に参加させて頂いた。 快く歓迎して頂いた両支部に御礼申し上げるとともに大阪支部で得たことにつ いて記させて頂く。

まず印象に残ったのは常に実戦で使えるのか否かを意識して稽古している 点である。 大学の基本稽古では教わった模範的な姿勢を意識することが多い。自分の 姿勢を保つことに注力しすぎて対面する相手をイメージすることを失念してしま うこともある。 大阪支部石田支部長はこの実戦の意識というものを何度も強調されてい た。ここでいう実戦の強さとはただ腕力が強いだとか体重が重いだとかそういう ことではなく、体重移動による拳の重さ、軌道一つ、意識一つで変わる技の出 の速さなどを表していた。特に受けではそれが相手の攻撃を防げるのか、大阪 支部ではどのような意識で受けの稽古をしているのかを説明して頂けた。 確かに受けとは相手の攻撃を防ぐのが目的であり、型通りに丁寧にやって間 に合っていないのでは意味がない。肘は正中線に持ってきてより脇を締め、軌 道はより最短距離を目指す。普段教わっているものと違う点は沢山あったがそ のどれもが意味を納得できるものであり、自分達の稽古に活用できるものであ った。

それと同時に普段の稽古を振り返るきっかけにもなった。思い返してみると 私は空手の動きを体で覚えることに一生懸命だったように思う。前屈や後屈の 重心の位置、型の中での突き方、蹴りの軌道など教本に書かれている動き、 教わった動きを完璧にこなすことを意識していた。勿論それらは大切なことであ る。しかしなぜこのような動き方になるのか、なぜこの動きがあるのかという所 までは考えが及んでいなかった。教わったことをこなす受動的な稽古ではなく、 一つ一つの動きの意味を考えるより能動的な稽古をしていきたいと考えさせら れた。そしてそれを突き詰めた先がよく瀧田師範が仰る型を自分のものにする ということに繋がるのだと思う。

次に支部訪問を経て感じた空手を続ける凄さについて記したいと思う。 石田支部長はもう 40 年近く続けられていて今回訪れた大阪支部も石田支部 長が開いたとお聞きした。他の方も私よりも一回り先輩の方ばかりであった。 空手の稽古は体力や精神的に辛いことも多いはずなのに自分達の 2 倍、3 倍 の時間を費やされていることに感銘を受けた。

稽古を続けていると時折自分を甘やかしてしまい、自己嫌悪に陥ってしまう ことがある。特にキツイ体力稽古はやりたくないと思いながらやっているのが本 音だ。そんな「辛い」「苦しい」といった感情を飲み込みながらここまで続けられ た先輩方に尊敬の念を覚えると同時に自分の目指す先も見えたように思う。苦 しさを乗り越えた経験というのは空手の技術だけではなく自分の精神的な部分 も成長させてくれるはずだ。出来ないこと、辛いことに対しても自分のできる限 りを尽くそうという意識を持ちながら一歩一歩着実にやり、弱い自分に向き合い 打ち勝つ意志を持って稽古に励んでいきたいと思えた。

今回の支部訪問では空手の技術だけではなく他にも多くのものを教わった。こ こで学び、感じたことをこれからも忘れずに日々を過ごしたいと思う 。

出典:日本空手道松濤會 機関紙『松濤館』第207号