空手部OBOGインタビュー (第7回)
空手部を卒業されたOB・OGの先輩にインタビューする本企画。第7回目は、平成18年卒業生の 髙梨泰幸副監督にお話を伺いました。
聞き手:空手部広報担当2年
Q1. まずは自己紹介をお願いします。
千葉県鴨川市出身、鴨川市立長狭中学校、千葉県立長狭高等学校卒業です。中学1年の時、体が小さかったのですが思い切って柔道部に入部。土日も含め毎日練習漬けの生活でしたが、次第に試合(66㎏級)でも勝てるようになり、恩師の推薦もあり高校まで6年間続けました。
平成14(2002)年、経済学部入学と同時に空手部入部。3年、4年生の時に2期連続で主将を務めました。卒業後も道着に袖を通す機会に恵まれ、平成20(2008)年に五段を授かり、平成25(2013)年から本部道場松濤館専任指導員の任を受けています。仕事は卒業後、野村證券を経て、平成25年に墨田区役所に入庁し今年で10年目を迎えました。
空手に出会ってから20年。1年生の時に、「だまされたと思ってやってみな!」と上杉篤史先輩(昭和49年卒、元空手部監督)から言われたことを思い出しますが、先生や先輩方を信じて続けてきて良かったと心底思っています。感謝しかありません。
Q2. 空手部にはどのような理由で入部されましたか。
入学した年の4月中旬にキャンパスを歩いていたら空手部と合気道部からチラシをもらい、各々の道場がある体育館へ足を運びました。両部の道場は、第一体育館中央廊下の突当りを左に行くと空手部、右に行くと合気道部の道場があり、どちらが先でもよかったのですが、その時は「左へ行ってみよう」と決心し、空手道場へ何かに引かれるように歩みを進めました。今から思えば、あの時、右の合気部道場に行っていたら、おそらく今とは違う人生を過ごしていたのかもしれません。
道場に入ると、見たことがない「空手」への好奇心と黒澤奈都子先輩(平成15年卒)が演武する型「観空」を見て更に興味が湧き、また当時の空手部の先輩たちの言動や所作から、部の雰囲気の良さを直感し、何ら抵抗なくその場でそのまま入部届に判を押してしまいました。新入生5番目くらい(1番目が田中、その次が山手、皆川、徳永か)の入部だったと思いますが、同期は初め30人くらいいたように記憶しています。
出会った先輩方には厳しく空手の本質を教えていただきました。特に、当時の師範の髙木丈太郎先生、現師範の瀧田良徳先生(当時監督)に師事し、日本空手道松濤會という現代の空手界においてその存在意義が高い団体に出会えたことは、何とも感慨深きものを感じます。
稽古への取り組み方も細かく教えていただきました。今でも続けることができ、日々きづきや発見、大学後輩たちの他にも本部道場松濤館の門人さんたちとの新たな出会い、仕事との結びつきなどたくさんのものを稽古から今でも授かっています。私の人生において、稽古は欠かせないものであり、基礎・基本を徹底的に教えていただいた先輩方には、感謝です。
Q3. 空手部で学ぶことができたこと、成長することができたことは何ですか。
まず、一つ目に「正解がない、完成しない」ことです。
試験には必ず答えがありますが、稽古のように正解がない問いに対して、考え続けること、仮説をもとに、検証、鍛錬し、現時点の最適解に導くこと。このプロセスを学生時代に空手を通して学べたことは大きかったです。
二つ目は、「状況を判断して、柔軟に対応し、決断する」ことです。
自分で自分が成長出来たとか言えませんが、今、VUCA(ブーカ、先行きが不透明で、将来の予測が困難)な時代と言われますが、以上2つのことは、働く、生きる上で欠かせない要素です。
Q4. 稽古していくなかで苦労されたことは何ですか。
1、2年生の頃は稽古に慣れるまで体力的に疲れ、気持ちの維持に苦労しましたが、次第に、毎日のきづきや発見があり、稽古を面白がり、仲間とそれを共有するにつれ、苦労を感じなくなりました。
特に思い出に残っているのは、毎週土曜の稽古後、小森久先輩(平成11年卒、現在、空手部副監督)と追加で2時間くらいマンツーマンの稽古をしたことです。体力をつける補強練習、足の振上げや抱込みなどの基礎練習、ミットを使った前蹴、横蹴、廻蹴の練習など2人で黙々とやっていました。
その後も土曜の稽古には多勢のOBが来てしましたので、30〜40分を2〜3人続く追突の稽古(自分から先輩にお願いする稽古、背中への指圧を含む)、組手(木剣を含む)の稽古、雑談後の夜8時から高幡不動へ移動し、ファミレスで食事をしながら空手部の歴史や思い出を聞き、稽古について質問を繰り返し、夜11時くらいに解散(帰るタイミングを先輩にお伝えすることも稽古でした)。
翌日、日曜日は学習院大学(目白)の稽古に先輩と参加。学習院と交流しながら、稽古後に目白駅の近くの喫茶店でお茶して帰るという生活。平日は午後3時から夜11時まで、土曜日は午後1時から夜遅くまで、日曜日都心で稽古と、気づけば毎日稽古の日々で、すっかり空手部に染まっていました。楽しかった思い出です。
3年生の時に幹部を任せられ2期連続して主将を務めましたが、経験が浅い中で幹部を任されましたので、当初は苦難の連続でした。「中大空手部主将」という重圧がのしかかり自分との戦いの毎日でしたが、同期の皆や後輩たちにも助けられ部の運営を進めました。特に、当時の瀧田監督(現在、松濤館長、空手部師範)には大変お世話になりました。瀧田監督は仕事終わりに車で週2〜3回ご自宅の中野から八王子の山奥の道場までいらして、午後7時から体育館が閉館する午後11時くらいまで一緒に稽古し、経験が浅い我々に自信を付けさせようと必死になって指導してくださいました。感謝です。
1年目の苦労を乗り越え、2期目には、総勢70名程の部員数にもなり、空手部65周年記念式典を道場で開催するなど、充実感や達成感を得られた4年間でした。
Q5. 他校の空手部と比較して、中央大学の空手部が誇れることは何だと思いますか 。
他校と比較できない(比較にならない、したことがない、する意味がない)と思いますが、中大空手部と出会えたことに感謝しかありません。もちろん自分の選択の延長に拠るものですが、その過程において周りの方々の影響を受けた結果、空手部と巡り合えたことが奇跡だと感じています。
中大空手部は、船越義珍先生の遺志を受け継ぎ、試合空手をせず、只々、空手の本質を究めることに注力し、武道の本質について空手を通して学び、若者の人格形成に寄与する大学空手部です。卒業後もOB・OGの組織である「中央大学空手道会」を介して親睦を深め、一生涯の人格形成に寄与し、生涯教育を実践、学生を支援するクラブは希少だと思います。
こんな純粋な大学空手部は他にない。同じ学連である専修大、成城大、学習院大と共にこの文化は守らなくてはならないし、代々受け継いでいく後輩を信用し、一人でも多く、一生涯続けてくれる稽古人、仲間(先輩後輩の上下関係でない)が出てきて欲しいと期待します。そのために、私は、代々の先輩たちがやってきたように、只々本気で夢中で、空手の稽古を面白がる先輩であり続けたいと思います。
Q6. 後輩の指導にあたり、何か意識されていることはありますか。
前師範の髙木丈太郎先生から「文武両道ではない、文武一道」だと教わりました。つまり、文武は一つの道、日々の生活と稽古も一つの道にあるとのこと。
生活は一生涯のことですから、稽古も一生です。もちろん道場の中だけの稽古ではないですね。「永久に未完成」という認識で、問い続けるプロセスの中にしか「答え(完成)」は存在しないのでしょうね。
だから、今を生きる、一所懸命に生きる、精一杯やる、精一杯やっているつもりで、振り返ればもっとやれたと反省、次はもっとやってみる、昨日の自分より少し前に進む。正しく強く、やればわかる。髙木先生には「まあ、やればそのうちわかるよ」と満面の笑みでよく言われました。
空手部道場の正面には、「練武」の額が掲げられています。「修文練武」の略ですが、学問を修めることは当たり前、空手を通して心と体を鍛錬すること。日々の稽古をしながら「練武」の額を見て自問してみる。
「一歩ずつ、明日へ進めばわかる、正しく強く、やればわかる。」
以上、髙梨副監督へのインタビューでした。ありがとうございました。
PDF版はこちら→「空手部OBOGインタビュー第7回」全文を読む[PDF]