機関紙『松濤館』への記事掲載について(第201号)

松濤館が定期的に発行する機関紙にて、現部員の記事が掲載されていますので、この場を借りて紹介させていただきます。

三年ぶりの合宿

経済学部2年 佐々木海斗

大学に入っておよそ1年半がたっただろうか。最初の1年はコロナの影響でほとんどの授業がオンラインで行われていたため、大学に通うことも出来ず友人と直接会うことも難しい状況だった。部活だけが直接大学に通い、友と語らう機会となっていた日々ではあったが、そんな部活も合宿、文化祭、演武大会などのほとんどの行事が出来ずにいた。ここ最近になってコロナの影響が少しずつ弱まったこともあり、ついに合宿ができるようになった。元々の予定からは大きく変わり、その期間も1週間ほどから3泊4日になった。それでも、昨年行くことが出来なかった合宿に行けるだけでも僕らは嬉しかった。コロナ期間で活動が控えられていた空手部の再出発とも言える合宿が始まろうとしていた。

この合宿の3日目には審査会があったため、合宿が近づくにつれて皆の緊張感が高まっているのを感じた。体慣らしのための強化練期間を乗り切ると合宿が始まる。大きな荷物を持ったスーツ姿の部員たちがいっせいに集まったのをみると、ついに合宿が始まるのかとなんだか感慨深いものを感じる。これまで部活の行事でスーツを着ることは少なかったので、気持ちの引き締まり方も違った。バスに揺られて数時間。合宿所のある千葉県九十九里浜に到着した。到着後すぐに稽古が始まったが、海辺独特の気候である。これまで当たり前にあったエアコンもないために体育館はとんでもなく暑かった。慣れない体育館での稽古という事もあり2時間の稽古はいつも以上にハードで、これからの合宿が不安になった。しかし不安を抱えていたのは皆も同じである。不安を共有し、明日に向けて気持ちを切り替える事の出来る先輩や後輩、同学年の友人達の大切さをここで改めて実感する。

 2日目の朝は、砂浜で空手をやる「浜稽古」というもの。新鮮な体験に心躍らせ浜辺に赴いたが、練習内容は想像以上に過酷なものであった。柔らかい砂に足がとられるため、開脚前進などがいつも以上に足に効くのだ。ましていつも以上に距離が長く、回数も多い。重くなっていく体に鞭を打って必死に稽古に食らいついた。ついていくだけでも精一杯で、正直あまり内容は覚えていない。しかし海岸に一列に並び、水平線に向かって打ちまくった正拳突きはとても印象深い。普段の練習でもよくやる正拳突きだが、開放感が全然違う。普段よりキツい練習なだけに、やり切った時の達成感は計り知れないものがあった。練習後は道着のまま海に飛び込み、練習の疲れを忘れ皆ではしゃいだ。今までの人生で経験してきたどの海遊びよりも楽しい経験となった。

 三日目は遂に審査会である。とうとうこの日やってきてしまった。やはり緊張を隠せない人が多く、朝の稽古は普段以上に不安と焦りの入り交じった雰囲気となっていた。一年生は入部後初の審査という事もあり、その緊張は一層重いものがあったように見えた。緊張しているのは自分だけでないと周りを見て気づくと、安心したのか緊張感が和らいでいった。ここでも困難を共有出来る仲間達の大切さを実感することになる。審査会で演武する型の確認を何度も行い、同期や先輩からのアドバイスを受け審査会中に何を意識するかを決め、入念に最終調整をしながら審査会が始まるのを待った。

 軽い準備運動を終え、審査会がついに始まった。まずは後輩たちの審査が行われたのだが型を間違えないだろうか、注意されていたことができているだろうかと色々なことが心配になり変な汗が滲み出たのを覚えている。この時はまだ自分の番が先だったこともあって緊張よりも後輩たちへの心配が勝っていたのだろう。後輩達が入部してからまだ半年も経ってないが、自分の事のように後輩達の事が心配になっていた。しかし、一年生の審査が終わり同期達の型が始まると一気に緊張感が襲ってきた。同期たちの審査が進むにつれてその緊張感は強くなっていった。後輩たちの見本になれるだろうか、たくさんアドバイスをくれた先輩方に成長した姿を見せられるだろうかと様々な考えが頭を駆け回った。しかし、それも自分の名前が呼ばれるときれいに消え去った。そこからの審査の内容はあまり覚えていないが、自分のペースで何とかやりきることができた。自分の審査が終わりもとの位置に戻ると今までの緊張感から解放され体の力が抜けてしまった。この極度の緊張からの解放感は実際に審査会を経験した人間にしかわからないものだ。これは自分にとっていい経験になっていると感じる。残りの同期の型はいつも見ていたこともあってなんだか安心感があった。それもあってか僕ら二年生の審査はあっという間に終わった。休憩を挟んでついに四年生の審査が始まった。元々分かっていたことではあったが、先輩方の型は僕たちのものとは比べ物にならないほど洗練されていた。一年前の審査会では自分のことに必死でよくわからず先輩たちの型を見ていた。しかし、一年たって型を理解したことで先輩たちのすごさに気が付くようになった。これは経験の差なのだろうか、立ち方一つをとっても自分たちとは大きな差がある。この差はどうしたら縮まるのだろうか、来年はこの人たち抜きでとあれこれ考えてしまった。

自分たちの部には三年生は一人しかいない。来年は様々な仕事を自分たちでやるしかないのだ。今のように先輩たちにおんぶにだっこの状態ではだめなのだ。そんなことを考えているととてつもない不安や焦燥感に駆られた。これは先輩方の仕事ぶりを近くで見ていたからであろうか、それとも自分の仕事のできなさにうんざりしているからだろうか。理由ははっきりとしないがこの不安や焦燥感は僕の胸を強く締め付けた。この胸の痛みは審査が終わってからも続いた。しかし、こんな胸の痛みが少し和らぐ出来事があった。それは同期の昇段である。彼は空手未経験であったにも関わらず、僕ら同期の中で最も多く稽古に来ていた。彼はすぐに上手くなっていき、ついには同期の中で一番初めに初段になったのだ。彼が初段になった時、僕は嬉しさのあまり彼に飛びつきそうになってしまった。これほど他人のことで嬉しいと思ったことはなかった。その日の夜は同期のみんなで大騒ぎをした。言葉では表せないほど楽しく、それまであった不安をかき消してくれた。やはりここでもこういった嬉しさや楽しさを共有できる仲間たちの大切さが身にしみる。未だ不安はなくなることはないが、この仲間たちとなら超えていけるのではないかと少し希望が見えた気がした。

四年生の卒業まで残り僅かとなった。彼らが卒業するまでに僕らは成長しなくてはならない。未だ不安は多く残っているが、努力をし続けることができれば必ず結果が出ることを初段となった同期は教えてくれた。まだまだ先輩方から学ぶだけの時間は残されている。貪欲に彼らの技術を吸収しながら部を引っ張っていけるような人間になりたいと素直に思った。先輩方に一歩でも近づくために今日も稽古に向かおうと思う。

出典:日本空手道松濤會 機関紙『松濤館』第201号 (令和4年10月30日)