機関紙『松濤館』への記事掲載について(第188号)

松濤館が定期的に発行する機関紙にて、現部員2名の記事が掲載されていますので、この場を借りて紹介させていただきます。

船越義珍先生の墓参会に参加して  

法学部3年  大泉 光

 去る四月二十一日、私は故・船越義珍先生の墓参会に参加させて頂いた。

私が中央大学空手部に入部したのはこの時から丁度一年ほど前である。空手部で過ごしてきたこの一年間で私は実に様々なことを経験させて頂き、入部当初の想像を超える程の濃密な時間を過ごすことが出来た。月日の流れの早さを感じる。

新年度の慌ただしさが少し落ち着き、一息ついたタイミングでの今回の墓参会であった。私にとっては、自分の空手への向き合い方を見つめ直す良い機会となった。

 私が空手を習い始めたのは今を遡ること十一年前、小学校二年生の終わり頃であった。当時習っていた流派は「上地流」という沖縄空手の一派であり、この流派において学んだことが私の空手生活の始まりであった。そこで小学校卒業までのおよそ四年間、仲間と切磋琢磨しながら稽古を続け、またいくつかの大会で入賞する等の経験を通して確かな手ごたえと自信を得、さらにはある事に打ち込みそれが一定の形となることに対する喜びをも知ることが出来た。今思うとそれらは年相応の稚拙なものに過ぎなかったものの、幼いなりに自身を知り、考え、実践したことは今日の私の空手への向き合い方を形作る礎となったのではないかと思える。このことは、空手の技を身に付けることよりもむしろ意味のあることであった。

 さて中学校では、私は沖縄のとある離島に山村留学をしていた。親元を離れて単身沖縄へ渡り、寮で共同生活をしながら島での様々な体験を通じて自己を成長させる為のプログラムであった。島でのあらゆる経験は私の人格形成に多大な影響を与えたが、ここでは話を空手に戻す。その島では毎週日曜日に本島から空手の先生が船に乗って来島し、島の子供たちや学生に空手を教えてくださっていた。そこでの流派は上地流と同じ沖縄空手の「小林流」であった。流派は変わったものの、私は大きなギャップを感じることもなくそれまでと同じように稽古に励んだ。中学時代の空手生活において自身に最も影響を与えたのは、先生のおっしゃったある言葉であった。「ひかり~は自分を追い込んであえて厳しい環境に身を置いた方が強くなるね。」という言葉がそれである。沖縄のひとらしい、とてもあっけらかんとして楽しい先生であったが空手のこととなると真剣でいつでも私たちに熱心なご指導を施してくださった。

 空手は、競技というよりは武道である。普段の稽古において、闘うのは他人ではなく自分自身だ。稽古をするのも自分、しないのも自分。空手の稽古では自分に厳しくすることによってのみ成長出来るのだと思う。さぼることのできる環境ではさぼってしまう、という自分に甘いところのある私の特性をよく見抜いておられた上での発言であったのだろう。空手だけでなくあらゆる事柄に通じるこの言葉は私の心に重く響いた。

 中学を卒業し高校入学と同時に親元へ戻った私は、何か新しいことに挑戦したい気持ちもあり空手から一度離れたが、大学に入学したのちにご縁あって空手部に入部することとなった。流派は異なるものの、一度経験したことのある空手というものについて少なからず自信を持っていた私であったが、入部当初は驚きと戸惑いの連続だった。立ち方、拳の握り方、突き方、型の運びなど、あらゆる面でそれまでやってきた空手と異なり、同じ空手であっても流派が違えばこうも変わってくるものなのかとショックを受けた。とは言っても、周りには他流派の経験者であっても松濤會の空手をしっかりと出来る先輩が幾人もおり、私は以前の流派を引きずり続けてしまう自分の未熟さに、自分の空手に、すっかり自信を失ってしまった。途端に稽古が楽しく感じられなくなり一時は本気で退部を考えたものの、当時の主将に思い留まるよう諭され、そのお陰で今私は空手を続けることが出来ている。今では少しずつではあれど自分の癖を認識し、先輩方のご指導や自らの気づきによって自分の空手と向き合い、まっすぐな姿勢で稽古に取り組むことが出来ている。

 他流派の空手を経験したこと。このことは私に、流派という狭い概念に囚われず「空手」そのものについて向き合うきっかけをくれた。入部当初、技の違いに戸惑いうまくいかなかったことには、慣れ以外にもそれなりの原因があった。どちらの流派の意味づけも筋が通っているのにも関わらず、それを技の形で再現しようとすると矛盾が生じ、両立しない。頭では理解出来ても、体が頑なに言うことをきかない。そのことにひどくもどかしい思いがした。今でも、元の流派の癖が残っていると感じることは多々ある。

 しかし、稽古を重ねていくうちに思い至ったことがある。一番大切なことは、流派でもそれに慣れ順応することでもなく、自分の頭で考え、自分なりの解釈を施し、納得のいく空手をすることである。教わったことを鵜呑みにし、ただそのまま再現するのでは意味がない、というのは言い過ぎだろうか。先輩方がご指導してくださったそのひとつひとつがどんな意味を持ち、それが実戦でどう活きてくるのか。その意味をじっくり考えることにこそ稽古の本質があるのではないだろうか。

 このことに気づかせてくれた存在として、今年度になって空手部に入部してくれた後輩達がいる。これまで教わるばかりだった自分が、今度は一転教える側に回る。その時、自分で納得したうえで確信を持ってやっていることでないと人に教えることが出来ない。というより、言葉に説得力がなくなってしまう。そこで必然的に自分の空手を見つめ直し、技の一つ一つを考えるようになる。ある意味至極当然のことではあるが、私にとっては少なからぬ発見であった。

 そのことに気づき、考えて空手に取り組むという意味でほんとうに真面目に稽古に取り組むようになってから、空手を面白いと感じるようになった。空手を続けていて良かったと心底思う。ただ、稽古をすればするほどに、辿り着けるかどうかも判らない境地に気の遠くなるような思いがする。自分の弱さを痛いほど突きつけられる。このことは必ずしも楽しいことではないが、まずもって自身の小ささを知ることが稽古の第一歩であり、そこに向き合うことにこそ空手をやる意味があるのではないかと、そう知れただけでも一年前の自分と比べて少しばかり成長したのではないかと思える。

 とは言っても、この先何十年空手を続けたとしてもきっと最後まで本当に満足のいく空手は出来ないのだろうとも思う。このことは、言うまでもなく空手道二十訓の中にある「空手の修業は一生である」という部分に集約されている。また、「技術より心術」という言葉にも、前述した空手の本質ともいうべき内容が端的に表されているのだろう。空手とはただ突き、受け、蹴って相手を倒せばいいというものではないということを、本当の意味での空手の奥深さを、この言葉は私たちに伝えてくれている。

 この他にも、義珍先生はたくさんの空手という武道の極意を分かり易い形で遺してくださった。今の時代を生き、空手を修練する者の一人として、義珍先生が後世に残してくださった理念に思いを馳せ、いつまでも自己の成長に貪欲な姿勢を持って稽古に取り組んでいきたい。

 最後に、この場をお借りし今回の船越義珍先生の墓参会に際し尽力してくださったすべての関係者の皆様に厚く御礼を申し上げ、筆を置かせて頂く。

 本当にありがとうございました。

出典:日本空手道松濤會 機関紙『松濤館』第188号 (令和元年7月31日)